豊中診療所
往診こぼれ話3

<第1話>家族の気持ちとしては・・・
(1998/12/1)

今日は定例の往診日。今週は月初めで、診療所から一番遠い
曽根、服部、庄内コースを廻る日です。特に曽根、服部方面は
阪急沿線の下町でなく、緑地に近い山の手方面で、訪問する家
も、老人一人暮らしにはかなり広すぎるマンションだとか、
庭に車が2台くらい入りそうなお屋敷だとか、スゴイところが
多いのですが、寝たきりのNさん79歳のお宅も、玄関入るのに
その部屋の番号をインターフォンで押して、中から確認しても
らって初めてロックが外されると言う、超高級マンションの
一室です。

彼女の寝たきりの原因は、糖尿病がリスクと思われる脳梗塞と
視力の低下です。すでに目は私たちの顔さえほとんどわからない
くらいなものだそうですが、耳は反面しっかりしておられます。
寝たきりなのに(だからというべきか)糖尿の方のコントロール
は今一つで、毎月血糖とグリコヘモグロビン(血糖を数か月単位
でモニターできるマーカー検査)の採血をするのですが、あまり
いい成績ではありません。

実の娘さんがひきとってそのマンションで面倒見ておられるの
ですが、数か月前まではその血糖の数値を告げるたび、娘さんの
顔がひきつるのがよく判って、私たちもなんとなく辛い思いを
していました。でも、最近少し様子が違います。

実は少し前に、娘さんから相談されたのですが、実はその娘さん
お父さん(つまりNさんのご主人)を亡くしたときにも、糖尿と
高血圧があって、医者から甘いものや塩分を絶対に控えるように
と強く言われて厳しく厳しくしていたのに、ある日突然心筋梗塞
であっと言うまに亡くなられたと言います。

「あんなに厳しくしていたのに結局は病気になってしまった。
 医者は年齢が年齢だからと言ったが、こんなことなら好きなも
 のを食べさせて上げたらよかったととても悔いています。
 母も、いくら頑張っても血糖が下がらないのなら、いずれ先が
 近いことは私も本人も判ってるのだから、せめてお饅頭の一つ
 でも欲しがったら食べさせて上げたい。駄目でしょうか・・・」

と問われて、私たちもかなり考えました。こんな患者さんでも糖尿
をとにかくコントロールすることだけが必要な医療なのか、と。
もちろん糖尿のコントロールが旨く行かなければ、寿命が短くなる
ことは「統計学的な事実」です。しかしどんな場合もその論理を
患者さん側に押しつけ、全ての場合でコントロールを「良くする」
事を求めるのは、医療側の独り善がりである場合もあるわけです。

そう考えて、娘さんにもコントロールを無視した場合の将来の予後
の可能性などを全て理解してもらった上で、ご本人のお好きな饅頭
やおやつは全て許可することにしました。もちろん毎月の血糖などの
評価はそのまま続けています。いずれにしても本人は寝たきりで、
食べると言ってもそんなにたくさんを食べるはずはありませんから
結構その後も状態は安定しているのでほっとしています。

民医連綱領に「親切でよい医療」を、という項目があります。私たち
が常に念頭に置いている言葉ですが、「よい」の中身は、決して自分
たちの独善に陥らないよう、いつも見直さねばならないとあらためて
いま感じています・・・

<第2話>Cさん、ピーンチ!(1998/12/2)

いつも鉄工所の2階の屋根裏のような部屋に一人寝ているCばあさま
ですが、今日の午後、たまたま訪問看護ステーションの看護婦が訪れて
みると、相変わらず布団に寝ずにカーペットの上に寝ていたそうです。
腰が痛いからなかなか布団から落ちてしまっても上がろうとしないの
ですが、相当寒そうなので看護婦が苦労して布団の上にあげ、そして
「ついでに」オムツも交換してみたところ、左の腸骨稜に大きな褥瘡が・・・

その看護婦からの連絡で、あわてて臨時往診に行きました。
周辺の小さな褥瘡は皮膚のビラン程度で、イソジン消毒しておくだけで
よさそうでしたが、腸骨稜のそれは10cm×5cmほどに広がり、しかもそ
の表面は黒く変色して、ほとんど壊死した組織で覆われているものと
思われたので、切除処理が必要と考えたのですが、鋏もメスもないので、
やむを得ずピンク色の一番太い注射針を利用して壊死部を苦労して切り
取りました。

あとを消毒し、ソフラチュール(抗生剤の付いた被覆剤です)を貼付
しておきました。しかし本人に聞いてみると、痛いので動けず、朝から
何も食べていないとの由。これでは治る褥瘡も治りません。
こうなると入院適応です。

ただ、こう言う患者さんを面倒見れる病棟、部屋がうちの病院に確保でき
るかどうかが不明でしたので、明朝一番で私が直接病院で確認することに
しました(明日は外来なので何とかなりそうなんです)。
うちも病棟ガラガラってわけではないので明日の朝は一苦労しそうです
・・・私の病棟に一つ空きがあると一番簡単なんですけどね。

Cさん、いつものようにピンチ切り抜けてよね

<第2話;補遺>Cさん、快方に向かう

さて、そのCさんですが、入院5日目に、私の病棟に転棟になって
来ました。もちろん主治医は私です。

救急病棟の主治医のカルテ記載では、熱発もあり、食事も
なかなか、と書いてあったので、あまり元気ないんかなぁと
思っていたのですが、実際診察してみると、この数日間
栄養補給の目的で中心静脈栄養をされていた甲斐あって
家に居たときとは比べ物にならぬほど元気になっていました。
比較の対象がなかったので救急病棟の主治医があのように
判断したのでしょう。

まぁ実際、褥瘡があるのが判っていても食事を本人の採るに
任せ、あの部屋で寝かされていたことを思えば、今の環境は
天国に等しいでしょうね。本人も私の顔を見るなり、

「おお、先生、ようやく会えたの」

と自分から話し掛けて来るあたり、もう立派なものです。
転棟直後、入院後から止められていた食事を再開しましたが、
ちゃんとムセもせず食べられます。この分ならすぐに静脈カ
テーテルは抜去できるでしょう。

ただ、左の腸骨稜の褥瘡を今日観察したのですが、早くに
デブリ(壊死部を切除すること)したので結構色はよくな
っていたものの、皮下脂肪や組織がないので完全にポケッ
トができてしまい、腸骨稜に付着する大殿筋の筋腱が剥き
だしになっていました。この分では相当栄養状態が改善し
ないと退院は無理でしょう。総蛋白が5もないようではね。

しかし、ま、とりあえず奇跡の人は今回も無事ピンチを乗
りこえかかっているようです・・・

→→Cさんの顛末はこちらへ・・・

<第3話>超人Sさん気弱になる

90歳のSさんは、3年前の87歳で巨大な髄膜腫を手術で
摘出し、通常この年齢なら2ヵ月はかかるといわれたリハビリ
をなんと3週間でこなし、笑って歩いて帰って来たという超人
です。元気な頃には日曜大工で、手を電動ノコギリで切って
しまっても絆創膏を貼るだけで治してしまったという逸話の
持ち主(^^)。こうやってみると、先日亡くなったCさんといい、
99歳のSばあさまといい、うちの往診患者には
超人が多いですね(^^)。

そのSさんも、今年の風邪には勝てず、いつも将棋をするのを
楽しみに来ているデイケアも1週間休んでいます。

家人や訪問看護ステーションからの報告では、ベッドから出
て来ず一日中寝ていとか。さすがに心配になり、今日は予
定にはなかったのですが臨時往診に行ってみました。

行ってみると案の定完全にベッドの中で冬眠状態です。食事
は今朝はなんとか摂ったとの由でしたが、顔に活気がありま
せん。しかし、心配した熱や肺の雑音などはなく、どうやら
肺炎ではなくて、風邪による倦怠感で動く気力がなくなって
脱水状態になっているようでした。ただ、あのリハビリをす
っとばした気力が今回はどうもありません。私の顔を見るなり

「おお、先生か。もうええわ。よぉ生きた。」
「なにがもうええねん」

と、弱気なことを言います。さすがに今回は参ったようです。
と言いながらでも意地張って絶対にもう入院はしないと言う
のですから、まだ少しは望みはあるでしょう。あとは超人の
体力、生命力に期待するのみですね。

がんばれーー

<第4話>布団に根が生えたよに・・・

(1999/4/20)
本日の往診は、昨日から来ていただいている新人看護婦さん(23歳
一児の母)を連れての蛍池コースでした。阪急蛍池駅から大阪空港
まで伸びている大阪モノレールの下を通って駅前のせせこましい通
りを入っていくとYさんの家があります。寝たきりに近い状態では
ありますがさほど大きな病気もなく、ひなが小さな上半身をTVの
前に据えたベッドの中で起こして座っています。背中が曲がってい
るので、さほど無理しなくてもちょっと背もたれがあるだけでその
おあつらえ向きの格好になれると言うわけです。

このYばあさまのところへ先日看護婦が訪問に行って、足の浮腫が
ないかどうか見ようとしたところ、両足の第四−五趾間に小さな白
癬菌症(ぶっちゃけて言えば水虫ですな)を見つけたとの由。本日
行って確認してみると、やはりさほど酷いものではないですが、自
分にあったとしたら痒くてたまらんだろうなと思わせるようなモノ
がありました。

ところがおばぁはん、さほど足をむずむず動かすでもなく、いつも
のスタイルで根が生えたようになっています。

「おばぁはん、この足痒くないの?」
「へー?どこがや?足の先?うーん、どこにあるかね足は」

この返事には家人も私たちも一様にどへっとコケてしまいました(^^;)。
布団に足を突っ込んだままずっと過ごしているせいか、あまり足の
先の細かな感覚もなくなって来ているようです。でも、こんな状態
は馬鹿にできないのです。水虫もちゃんと治してあげないと足の切
断に繋がることさえありますからね。

まぁこの方も今年で92歳。足も木の根っこみたいになってますから
布団の中に根付いても仕方がないですかねぇ・・・

<第5話>やはり自宅はいい(1999/5/26)

今月は第1火曜日が休みでした。そこで第2を第1として往診日程を
組んだため、第4火曜日の分が浮いてしまい、協議した結果最後だけ
水曜日に行こうということになって、昨日はそういうわけで往診だっ
たのですが、その中の一軒がつい先日まで大腿骨下端の骨折で入院し
ていたT婆さま@90歳でした。

彼女の骨折はもうほとんど半年前のこと。元々足元はアヤしいのです
が、頑張って台所まではでていたの人なのです。しかしある日、いつ
ものように台所で用事をしようとして転倒、右膝を強打し立てなくな
ってしまいました。翌日には著明な内出血と腫脹が見られ、レ線上で
大腿骨下端が粉砕されたような骨折で私の病棟へ入院となっていたの
です。
(下の写真はクリックすると大きく見られます)


病気が病気ですので、ベッド上に起きることもままならず、ギプスを
はめて最初の2ヵ月はほとんど病室の天井だけを見ているだけの生活
です。90歳の人がこの環境の変化でボケないはずはなく、すぐに昼
夜逆転し夜間せん妄対策に向精神薬を使用せねばならない状態になっ
てしまいました。実際この頃の状態を見ていて、どうせ家に帰ったら
もう動くことはないだろうから、骨折が仮にくっつかなくてもどんど
ん起こして行ってやる方が彼女のためではないだろうかという議論も
あったのですが、痴呆と言っても人格障害は現れず「眼光は保ってい
た」ので(^^)、あえて非情に徹しギプスの取れるのを待ちました。

骨粗鬆症もあったため思ったよりギプスの取れも遅く、車椅子可能に
なったのが3ヵ月目でした。そこからは本人が少々痛いと言っても起
こし、食事もうちの病棟名物の「廊下に並んで簡易食堂」で摂らせて
みましたが、かつての活気がなかなか戻らず食事量も少ないままでし
た。

整形外科的にすることがなくなり、先月初旬に自宅へと退院されたの
ですが、ここの主介護者たる次男嫁が素晴らしい人で、非常に気配り
の行き届いた、しかもあまりやりすぎない援助をされるのと、あまり
これまで関わって来なかった息子さんたちが、ポータブルトイレやベ
ッドサイドテーブルなどを、既製品を用いて彼女が一番使いやすい高
さや大きさにかなり手を入れて改造してくれたりしたことから、断然
婆さま元気になってしまい、昨日に行ってみたら入院中にはよほど看
護婦の介助の元でないとできなかったベッドサイド座位への移動もと
ても素速くできるようになっていました。そしてなにより夜間のやや
こしい状況はまったく消失し、眠剤も不要になっているとの由でし
た。

これまでの私の経験から見ても、なかなか90歳超のかたで一旦痴呆が
出たあとでそれが回復した例を見ることはありませんでした(あの、
髄膜腫の手術で回復したSさんくらいです)が、今回、やはり痴呆を防ぎ
回復させるのは家族の愛であると(なんだかクサイです
けど)痛感した
ような次第です。それにこの方とっても冗談がうまい。
同じ純粋な大阪っ子
である私と会話していたら、いつでもすぐ天然漫
才になってしまいます。
こういう元々の活発さもよかったのでしょう。


こう言うわけで、彼女は退院時にはまったく予定していなかったデイ
ケアへの参加も考慮できるまでになりました。デイケアでの彼女の活
躍を見るのがまた楽しみになりそうです・・・

<第6話>秋の空模様のように・・・(1999/9/17)

今日は久しぶりに午前中は外来のない日です。本来ならVFという検査に入っ
ているところが、今日は対象患者がおらず、午前中一杯病棟で仕事をしていた
のですが、ちょうど明日退院させる患者さんの病状説明を彼女の息子さんに話
し終った頃に、診療所の看護婦から電話が入りました。

「夜中のあいだにHさんの家族から婦長の携帯に電話が入って、朝からものを
 食べないから緊急往診をN先生に頼んでほしいと言って来たらしいんです。
 で、どうしたらいいかと思って・・・」

N先生と言うのは直接うちの診療所とは関係がありませんが、庄内の訪問看護
ステーションの近所の開業医さんで、うちの診療所が体制上24時間対応の往診
などができないことをStの看護婦が相談したら、そんなときはいつでも言っ
てくださいと頼もしいご協力を申し出ていただいている先生です。そして、最
近往診を始めたそのHさんのご家族が24時間対応の話を言って来られたので、
その先生のお話もご家族の耳に入れておいたのですが、先日の採血の結果を火
曜日に聞きに来られて、それがとてもよかったのでまだしばらくはその先生は
結構ですと言って帰られていたのでした。というわけで、N先生にもまだお話
を繋げていなかったのです。

ただ、どうも留守電に入ったらしく、婦長も詳細が判らないとの由だったので
すが、なにせつい3日前にそんな風に言って帰られたのに、そんなに急に態度
が変わるほどバアさま状態が変化したのかと私としてはちょっとびっくりした
のでした。で、とにかく家族に問い合わせて、必要なら午後の先生に往診して
もらってくださいと看護婦には伝えたのですが、その後連絡がないので御幣島
診療所の夜診へでかける直前に電話してみました。すると

「あー先生、すんません。実は家族に電話してみたら、今朝はお婆ちゃんうっ
 てかわってゲンキになって食事を食べているのでもういいってお話だったの
 で・・・」

実はHさんはごく最近まで一人暮らしをしていて近所の民医連の先生に往診を
してもらっていたのですが、さすがに弱って来たと言ってこちらに来られたの
です。一人暮らしの老人は、時によっては36時間を1クールにして過ごすよう
なこともされますし、一日食べなくてもヘーキで、翌日にはうって変わって食
べるなんてこともしばしばです。だけどこれまで一緒に暮らしておられなかっ
たご家族としてはバアさまのペースがよく理解できてなかったのでしょう。

まぁお年寄りの体調てのも秋の空模様と同じでころころと変わりやすいですか
ら、家族としてそのように思われても無理はないですね。家人は辞退されてい
たけど、やはり何かの時のためにあらためてN先生にお願いしておくことにし
ようかと思っています・・・

<第7話>満一世紀の生涯(2000/4/14)

私の診療所で往診している患者さんのうちの最高齢者、それはこれまでも何度
かご紹介した事のある100歳のSさんです。昨年8月、無事100回目の誕生
日を迎えられ、診療所からも記念品を贈呈しました。豊中市長からのプレゼン
トより喜んでくれたようでした(^^)。

そのSさんが下血をして入院したのが今年の2月の末でした。入った病院
があまり何もしてくれないと家族がぼやいていましたけど、本人はいたって元
気でよく喋るということで私たちも安心していました。1ヵ月に一度彼女の娘
さんがやはり高血圧で受診に来られるのですが、その方からも結構経過が良い
のでそろそろ退院だと言う話を聞いていたのですが・・・

本日のちょうど昼頃、診療所看護主任から電話が入りました。

「先生、Sさん、亡くなったそうです・・・」

えっ何故?と言う気持ちと、やはり悪かったのかなという思いが交錯しました
が、その後の彼女の言葉で事情ははっきりしました。

「もう食事も食べられて元気で、今週末にも退院の予定だったんだそうです。
 ところが今朝、朝食後に嘔吐されてそのまま、だったそうです」

嘔吐の原因ははっきりしませんが、要するに吐物誤嚥が死因のようでした。つ
まり事故なのでした。やはり一世紀をたくましく駆け抜けて来た彼女は最期ま
で病には負けなかったのです。

1899年生れ、今夏で101歳のはずでした。往診を始めて5年。この5年間に弱
るどころかむしろ熱発ごとに元気になってきた凄いSさん。2月に往診し
て帰る際に、「また来ますね」と言ったらにこにこして右手でバイバイしてく
れたのが結局私にとっての彼女の見納めでした。来年まで頑張れば3つの世紀
を生き抜いた素晴らしい人になるところだったのに。

でも、そうやって惜しんでも彼女は喜んでくれないでしょう。100年間本当に
ご苦労さま、これからは空の上から診療所を、私たちを見守っていてほしい。
そう言う思いで大往生の彼女を送りたいと思います・・・

合掌


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