豊中診療所
往診こぼれ話(その4)


<第1話> ばぁさま干上がった(2001/7/21)

今日は土曜日で本来は病院付属診療所のみで勤務の日ですが、午後から理事会
があるためもともと診療所へはでかける予定になっていました。それを知って
か知らずか、在宅の患者さんにここしばらくの猛暑が悪さをしていたようで・・・

午前診療があと二人と言うタイミングで、机の上においてあるマナーモードの
ケータイがぶーんと震えました。あまり見た事のない番号でどこかなと思った
ら、ある在宅往診管理患者さんの家からで、相手は婦長でした。

「Tさんのところに来てるんです。なんかここ2−3日食事が進まなくて、今
 日返事しなくなったというので来てみたんですけど、どうしましょう?」

というのですが、ははーーんと思って血圧を聞いてみると、案の定上が70しか
ないと言います。この数日の暑さで参って、食事も落ちたのでどうやらばあさ
ま干上がってしまったらしい。

「じゃ、点滴しましょう。○○500ml、単味でいいから。でも、ゆっくりと・・・」

高齢者の脱水は注意しないと、あまり早く水分を入れると脱水を改善する前に
心不全を起こす事もあります。例えは悪いですが、冷凍食品を戻すときの要領。
あまり早く解凍すると不味くなってしまいますよね。その感覚が大事で、ゆっ
くり輸液をして改善して上げるのがコツなのです。ちょうど夕方、理事会が終
わってから訪問してみたら、血圧も114まで上がって受け答えも出来るようにな
っていました。

一応明日も所用で診療所へ行くので、用事が終わったら覗いて点滴して来る予
定です・・・


<第2話>一人暮らしの「知恵」(2001/8/7)

今日は第一火曜日恒例の「豊中市縦断往診ツアー」(なんじゃそら(^^;;))の
日です。阪急豊中駅近くの「本町」と言うところの患家を皮切りに、曽根、服
部、庄内と阪急宝塚線に沿って南下する形で往診車を進めて行くのです。7軒
の家を約2時間半かけて回るのですが、今日のお話はその2軒目のCさん宅で
のことです。

Cさんは89歳の女性。マンションの1Fのひと部屋に一人暮らしをしています。
息子さんたちがいくら一緒に住もうと勧めても頑として聞かないのだそうで。
まぁそこまでの頑固があるので長生きできているとも言えるのでしょうけどね。
ちなみに外観はどう見ても80歳そこそこです(70代と言っても多分通ると思う)。
声だって若い若い(^^)。

そんな彼女にも怖いものがあると言います。それは彼女一人の時にやって来る
訪問販売や宗教の勧誘など。そんなときのために私たちの往診の時以外は必ず
玄関のドアにはしっかり鍵をかけてあるのだそうですが、それでもインターホ
ンの向こうで結構しつこく粘るのがいるんだそうです。

「そんでねぇ」

と彼女はその若々しい声で言います。

「あんまりしつこいから、これ(インタホン)に向かって、もう今日はしんど
いからよう出ませーーん、て『老婆の声で」言うんですわ。あははははは」

それがまたそこを再現するときの声がまさに「老婆の声」なんですねぇ。思わ
ず看護婦と二人で吹き出してしまって、往診先だというのに大笑いしてしまい
ました。本当に老いた方が若い人のマネはできないけれど、長い人生経験をも
つ「若い人」が高齢の人を演ずるのは簡単というわけなのでしょうね(^^)。

この件一つで今日はとっても楽しい往診でした・・・


<第3話>最高齢往診患者(2001/10/30)

うちの診療所から往診していた患者さんのうち最高齢は、これまでは昨年夏に
100歳で亡くなったFばあさまでした。それ以降、たぶんあの人を越える人は
出るまいと思っていたのですが、昨日往診以来があり、本日初回往診に行かせ
ていただいたM氏はなんと当年とって103歳!明治31年生でした。ついに最高
齢記録更新です(^^)。

M氏は103歳とは言え、特に寝たきりと言うわけではなく、手を引かれながら
でも家の中は歩いておられます。それだけでもスゴイのに、いつも新聞を読ん
で知識をいまだに蓄えているとの由。いくらか記憶障害は出て来たようですが、
この歳で短期記憶障害は仕方ないやね。毎朝新聞を読もうと言う気持ちがスゴ
イですわ。しかも、このM氏のキャリアを伺って2度びっくり。なんと83歳ま
で現役の弁護士さんだったのだそうで。なんかさすがだなーって感じでした。

ほとんど内科的疾患もないのですが、ただ一つ耳が非常ーーーーに遠くて両方
ともほとんど聞こえない。でも、筆談がきちんと通じるので、往診時のコミュ
ニケーションは問題ありませんでした。もっとも後で家人に聞いたら、こんな
に他人と接して静かだったのは初めてだったとの由。やはり緊張されてたんで
しょうか、あるいは医師に対峙してかつての弁護士魂に火がついたのかな・・・(^^;;)。

なんにせよ、これから往診に一つ楽しみができました・・・

<第4話>独居おばばは強い (2001/11/20)

今日の往診患者4名の最後を飾るSばあさまは86歳。不整脈でペースメーカも入
っていて足もよろよろするので、家人からはしきりに同居を奨められているので
すが、頑として受け入れずかたくなに独居を守りとおしているガンコおばばです。
その彼女が今日の往診の時面白い話をしてくれました。

いつも彼女は玄関の引き戸に鍵をかけ、さらには鍵が外れてもすぐには全部開か
ないように戸1枚の8割ほどの長さの突っ支い棒を置いています。それほど用心
深いのですが、それでも先日たまたま戸が開いていた隙に、なんだかわけの判ら
ない闖入者があったのだそうな。

彼女がふと気がつくと、仏壇の前に一人の中年男性が座っていたそうで、ばあさ
まこれはおかしいぞと思ったけれど、すぐに慌てることなくこんなやりとりをし
たのだそうです。

「おや、もしかして今日来てくれはることになってたヘルパーさん?」
「え、あ、あ、そ、そうです・・・」
「ほうでっか、それはまたキタないとこへ・・・ほんで何やってくれまんねん」

ここに到ってその男も場違いなところに来たと気づいたらしくてそわそわしはじ
めたと言います。しかしさすがに何か得物をと思ったらしく

「おばあちゃん、買い物して来るから財布出してえな」
「ほな、そこにちょっと名前書いて行ってちょうだい」

とばあさまもうまく反撃。するとなんでも「ミナミ」とかなんとか書いたそうで
すけど、そこですかさずばあさまが

「あんさん座ってはんの、そっちは北でっせ」(^^)!

とやると、その男もとうとうその気がなくなったと見えてさっさと席立って出て
行ってしまったそうです。それにしても、よくまぁその男もキレてアブないこと
しなかったもんだと思いますけど、海千山千のおばばには歯が立たなかったと言
うところでしょうかね(^^)。結局数日後にその人タイホされたそうですけど
(^^;;)

さすがは独居にこだわることはあるなぁと感心したひとときでした・・・


<第5話>「患者の立場」 (2001/12/18)

本日の往診の最後は、ここのところ不審な人をとぼけた会話で撃退したりして話
題を振りまいている86歳のSさんです。彼女と話をするのはいろいろと面白く、
また時には思いがけない発見もあるので楽しみなのです。

今日も訪問したら居眠りしていた彼女でしたが、診察し、血圧測定をし、先日の
血液検査の結果も説明して最後に「今すごく風邪が流行ってるからSさんも、う
がいをちゃんとしとかなアカンでー」とふと言ったときに、彼女が

「あ、うがいだけはあきまへんわー」

ん?なんかあったの?と問い返したら

「いえね、わたいこんな背中曲がってまっしゃろ?せやから、うがいしよ、思て
 上向くんやけど、真上向こう思たら後ろにそりすぎてひっくり返ってまいます
 ねん。ちゅうて、中途半端なカッコでやったらムセてしもてちゃんとうがいで
 けへんしね・・・」

との由。それを聞いてはっとしました。なにげなくこの風邪のシーズンには「う
がいしときねー」と気軽に言ってしまうのですけど、こういう状態の方もおられ
るんですね。まったくそんなこと考えもしませんでした。ホント今度から気をつ
けねば・・・

医療生協の社会保障学習の教科書の一部に、民医連では「患者の立場にたった医
療」をというけれど、そんな簡単に立てるはずのないことを言うのは傲慢である
ということが書いてあります。そうであっても我々は、患者さんの立場に「立て
るよう努力する」という意味で「患者の立場に立ったよい医療を目指す」といっ
てもいいのではないかとかねがね私自身は思っていました。でも、実際にはこん
な簡単なことでも患者さんの立場に立ててなかったことが判って、改めてその難
しさを実感したのでした・・・


<第6話>足趾だけ先に・・・? (2002/03/02)

ちょっと前に、今診療所から往診に行っている最高齢の患者さんのお話をしてい
たと思います(上記第3話参照)。現在103歳、20年前の83歳まで現役で弁護士を
やっていたという、あのMじいさまです。この方のところに先月往診に訪れた際
に、両側の足趾の色が紫色に変わっていて非常に冷たくなっているのに気づき、
先月から末梢循環改善剤を飲んでいただいていました。

今週の火曜日、1ヵ月振りに往診に行ってその足を診てみたのですが、右足の方
は冷感も色も非常に改善していたのに比して、左足の方はかえって症状が悪くな
って、一部疵ができて潰瘍になりかかっていました。その趾だけ一足先に住む世
界を変えてしまったかの如くの外観で、一目見てこれはマズイと思ったのですが、
なんと前に一時刀○山病院に入院していた際になんかトラブルがあったとの由で、
刀○山病院も市立病院も入院ができない関係になっている(はっきり言えば最初
からお断りと言われている(>_<))といいます。すぐ近くのその二つの病院
があてにならないとなるとどうしたらいいものかかなり悩んだのですが、結局西
淀病院に電話をして手術中だった外科部長にでてもらって直接相談しました。

彼のおっしゃるにも、外科処置と行ってもやれる事は下腿切断する事になるが、
やはり高齢なので入院してもかえって歩けなくなる状況が悪化するか、痴呆が増
悪するだけだろうし、決していい事は多くないでしょうと。しかし、一度金曜日
の血管外科の医師に診てもらったらどうかとアドバイスをいただいたので、かつ
て私の患者さんが血管造影後に大出血した際お世話になったこともあるその先生
にお願いして昨日診察していただくことにしていました。

今朝、付属の診療所の外来開始前に病院の医局に寄ってみたらその医師からの紹
介状の返事が置いてあったので、慌てて中身を確認してみたら、たしかに相当外
観上は悪くなっているが両下肢への主血管は案外血流が良いと言う検査結果で、
血流改善剤や抗血小板剤を旨く使えば在宅で改善させられるのではないかとのお
言葉。思わずラッキー!と叫んでしまいました(^^)。

すでに先日の往診時から治療を強化していたのでそれも効きはじめていたとも書
いてあり、なんとか足趾だけ先にあの世に送ると言う事にはならずにすみそうで
す。せっかくのご長寿なんですから五体満足のまま人生のゴールまで駆け抜けて
ほしいですもんね。やれやれでした・・・


<第7話>104歳と2日目に(2002/03/14)

この二日間、疲れが昂じて書き込みができませんでした。だからこれは二日前の
お話です。

先日、足の趾だけがあの世に行きかけて大騒ぎをした103歳のMさんですが、そ
の後薬物が案外効いて足趾の状態はかなり改善して来ていました。しかし、あの
騒ぎで全身状態は少しずつ削られて来ていたようで、先週の水曜日に一度往診し
たときには食事があまり摂れないからということで自宅で点滴を施行したりして
いました。

月曜日に主任看護婦がご機嫌伺いの電話をしてみたら、だんだん動きも少なくな
って来て尿や便も失禁状態であり、家人も家での介護が限界と思えて来たという
情報でした。療養型の病院への入院も考えねばならない状態だなとわれわれも判
断し、家人も求めていたとの訪問看護ステーションからの情報もあったので、午
前の外来終了後往診の準備をしながらその紹介状をしたため終わったまさにその
時でした。

診察場の電話が鳴り、受付の女の子が「Mさん宅からのお電話です」と取り次い
でくれた受話器の向こうで、いつも往診に行くと出迎えてくれる長女の方(長女
と言えど77歳です)の取り乱した声が聞こえてきました。「せ・先生、おじいち
ゃん、息してないみたいなんです・・・身体も冷たくなってて・・・どうしたら
よろしやろ」

正直言って私は、来るときが来たか、という気持ちでした。この間状態はよくな
かったし、この高齢でいつ何があってもおかしくないのには違いなかったからで
す。でも月曜日、主任が電話したときすでに私は夜診の準備で西淀の方へ移動し
たあとで、その場での往診に行けていなかったので、24時間以内に診察をしてい
なかった私は医師法第20条に縛られ死亡確認はできても死亡診断書を作るわけに
は行かなかったのです。

とりいそぎ昼食もそこそこに車を仕立ててもらってMさん宅へ直行しました。彼
はすでにベッドの上で硬くなっていましたので死後最低2時間は経っていたと思
います。昨夜も痰がゴロゴロ言ってたというのでおそらくは肺炎で増えた喀痰を
喉に詰まらせたのが死因かと思われました。家人に上の旨を告げ、警察に連絡し
てもらう一方で、私は彼の胸を開き、慎重に心音のない事を確認し、頚動脈を5
分以上探し、そして唯一見えていた左目での瞳孔の散大と対光反射の消失を確認
しました。ついでに蛇足とは思ったけれど、念の為故人のまぶたの裏を改めて溢
血点のない事を見ておきました(外因的な窒息〜つまり首締めたり〜だとこれが
できるのです)。

でも、窒息だと苦しかったかと思うのですが、実に穏やかなお顔をしておられま
した。彼の誕生日は3月10日。つまり104歳になって二日目の大往生だったわけで
す。決して悟り切って亡くなったとは思わないけれど、ここまで生きてきた偉大
さが自然と表情をも美しくしてくれるものなのでしょうかね。

しばらく家人に事情を聞いたりしていたらしい所轄の捜査官が、残りの往診をこ
なしていた私の携帯に電話をして来て私にも状況を聞いてくれました。私も死亡
確認したときの状況を説明した後、医師法に触れなければ診断書を発行してもよ
いと言う意志を告げると、ちょっと待ってといってしばらくの後、「警察も変死
とは考えず、病死でよいと判断しましたので、先生が診断書書いて上げて下さい」
という電話をくれました。彼の神々しい表情に警察も打たれたのでしょうね。

往診のあと再度Mさん宅を訪れると、すでに子供さんがたは皆さん集まり、警察
は撤収したあとでした。彼はまだベッドの上で同じ状態でした。死してもなお生
前の彼の頑固さを物語るような姿に少し感動しながら看護婦と二人、合掌してそ
の場を辞し、診療所に帰って私が在宅患者さんで作る2枚目の死亡診断書を作成
したのでした。

あれから二日、すでに彼は煙になって天に向かったころでしょう。この世で過ご
した足掛け3世紀の想い出とともに・・・

合掌

<第7話>遅れて来たメール(2002/4/19)

Kさんは寝たきりになってもう久しく、一昨年12月より食事量も落ちて来たとい
うことで、さほど長くその状態は続かないだろうという見込みの元、在宅で末梢
から入れる事が可能な高カロリー輸液を持続的に点滴する方法を始めました。と
ころがこの治療で体力が回復し、結果的にはこの輸液を続ける状態がすでに1年
5ヵ月も続くといった状態になっています。

末梢からアンギオカットという、テフロン針を血管内に留置できる針を用いて入
れるのですが、開始当初はいくらでもあった血管が最近はほとんど見つからず、
1週間に最低2回くらいは漏れてしまって針の入れ替えが必要なのですけど、そ
れが一仕事になっています。

ところでこのKさんの実の娘さんが介護をされておられるのですが、結構サイバー
な方で(^^)PCでもケータイでもメールを駆使できるので、この患者さんに
限り何かあったときの連絡も診療所宛ではなく私のケータイまたはPCメールに
届くということになっていて、これまでも何度となく変化に対する速い対応がで
きてきました。将来的にはこんな事が全ての在宅の患者さんで行われるようにな
るのでしょうが、時代の先取りといったところです。

で、今日の午前診が終了したのち、Kさん大丈夫かなとメールをチェックしたの
ですが、PCにもケータイにも届いていませんでした。しかし訪問してみると案
の定今週火曜日に入れたところが漏れてしまったと言います。血管がなくて足の
裏の細い血管に(!)入れていたので、むしろ4日も保ったのはできすぎでしょ
うなどと話しながら今日の場所を探したのですが、これがまた見つからない(>
_<;)。それでも格闘する事30分、なんとか左の上腕に先だけ引っ掛けるよ
うな形で入りました。不安定なところだけど、月曜日がお風呂なのでまぁ日曜日
まで保てばいいですかねと言いつつ、Kさん宅をあとにしたのです。

その後、私は夜診のため西淀川の方の診療所へ移動し、遅い昼食を食べていまし
た。と、そこへケータイがメールの届いた着信音を鳴らしましたので、お、誰か
な、と思ったら件のKさんの娘さんのアドレスでした。ありゃ?と思い慌てて中
身を読むと「ついに漏れてしまいました。またよろしくお願いします」との由。
あちゃー、もう?と思わず声に出しつつ、さすがにこんなに早いと対処しないと
と思って、診療所の主任に連絡。明日は職員総会なのでその休憩時間にでも訪問
しますかねーと打ち合わせをしたのでした。

ところがそれから10分ほどして、今度はケータイが電話の着メロを鳴らしました。
見ると診療所からで、今度はなんじゃいと思いつつ出てみるとこれがさきほど打
ち合わせをしたばかりの主任です。「Kさんのところに連絡して訪問時間の相談
しようと思ったら、先生、点滴全く問題ないって言っておられましたよ。そのメ
ール、今日のお昼頃に出したヤツだったそうです・・・」

なーんとまぁ、私のケータイに着信時間15時4分で届いたメールは、娘さんが12
時過ぎに送信されたものだったわけですね。だから火曜日に入れた点滴が漏れた
と言う連絡が、約4時間遅れたために混乱の元になってしまったと言うわけで・・・。
PCメールが全世界を巡り巡ってタイムラグを経て届くと言うのはよく経験して
いますが、ケータイメールでこんなにかかったのはあとにも先にも初めてでした。

まぁ最新技術にもPitFallがあるということですね(^^;)。いい経験をさせ
ていただきました・・・

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