鎮魂歌・・・
れくいえむ

ここでは、これまでの記事からの再掲も含めて、診療の場で
出会う人の死をテーマにしたエッセイを集めてみました。

<第1話>Tさん、安らかに・・・
(98/6/27)

うちの診療所から月の第2火曜日に往診している
「超高齢者グループ」のひとりが、このTさんでした。
92歳、脳梗塞後遺症と肺気腫はありますが
結構元気で、
一時落ち込んでいましたけれど最近はまた
活動性が増して、
かえって夜もあまり寝ないといった
状態が続いていました。

さすがに同室に寝ているおばあさんが参ってしまって
家人が診療所に、なにか眠れる薬はないですかとたずねて
来られたのが1週間前。ベゲタミンBという強い安定剤を
処方したのですが、一昨日電話が看護婦からあって、それ
でも寝ないらしいのですがどうしましょうか、と・・・

本当のところ、これ以上薬剤は使いたくなかったのですが
おばあさんの眠れない方が深刻になって来たからという
家人の訴えに、どうしても寝かせたい状況になるようなら
以前処方したレンドルミンという入眠剤を併用するように
とアドバイスし、結局その夜双方を飲ませたらしいのです。

ところが、昨日、昼を過ぎてもうとうと状態が続いていると
いう連絡があり、ああ、やはりハングオーバーしたか、と
思い、昨日一日様子を見て起きないようなら点滴でも、と
言っていたのです。

そして本日、午前の病院の外来中に診療所から電話があり、
やはりうとうとしているらしいですとの由。やむを得ず
今日の診療担当のパートの先生に往診をお願いしたのです
が、10分もしないうちにもう一度看護婦から電話があって

「今おうちに来てるんですけど、呼吸が止まってるみたい
なんです・・・」

救急隊員が心臓マッサージをしていたらしいのですが、往診
を依頼した医師によればすでに瞳孔が開いているとの由でした。

家人も、そして本人も延命処置をまったく望んでいなかった
ことを良く知っていましたので、その時点で心肺蘇生を止めて
もらい、肺気腫での診断書作成を依頼して電話を切りました。

夕方、診療所で新旧理事の交代慰労会があったので、その前
にとTさんのお宅を伺うと、ちょうどお坊さんがお経を読み終わった
ところ。そおっと顔にかけられた白布を取って
みると、本当に苦し
まず、安楽な表情のTさんが二度と
覚めない眠りに入っておられ
ました。薬剤の力を借りたとは言え
真に眠りながらの最期で、
眠れん眠れんと言っていた彼にと
っては本望だったのでしょうね・・・

合掌

<第2話>妻だけに看取られて・・・
(98/10/9)

今日は朝から内科CCの担当に当たっていたので結構
はやくから家を出たのですが、もう一つは病棟のEさん
のことも気になっていました。

もともと脳梗塞で入院した彼は、入院中になんどとなく
再発があり、徐々に食事もとれなくなり、最近は腎不全
も起こしてここ数日状態が悪化していたのです。しかし
意識はしっかりしていて、痛い事をすると身体をふるわ
せて怒るのです。その様子がここしばらくの彼の元気さの
バロメータになっていました。

ところが昨日未明から血圧が下がりはじめ、昨朝私が診
察に行ったときには昇圧剤を使用しなければ血圧が保てず
尿量も激減し、昇圧剤の作用で頻脈にだけなっていました。
当直医が家人に連絡をとっていたので、妻と長男さんが
駆けつけておられたのですが、そんな事態でも彼の意識は
しっかりしていて、細い目で私をしっかりみつめていました。

昨日は午前中は私は外来だったので妻に、病状は悪く、いつ
心臓が止まるかもしれないけれど、意識はしっかりしてい
るから予想は困難です、他の呼ぶべき人がおられたら呼ん
でおいて下さいと話していました。

で、午後外来が終わって上がってみると、なんとこれまで
ほとんど顔を見た事もなかったような人達が10名近くも
集まっていました。これにはびっくりしたのですが、部屋に
入ってみると、おむつを取り替えながら看護婦が何か憤慨
しています。聞くと、一部の家人が「なんや、あわてて
来たけどまだ大丈夫やないか、いつごろになるんやー」と
放言していたとの由。まぁよくある話なのですが、実際
じいさまの意識がしっかりしている横でそんなことを言われ
たのかと思うと、やりきれない気持ちになってしまいました。

自分からは言葉を発しないけれど、これまでの状況からは
どう考えてもじいさんの耳はしっかり聞こえているハズな
のです。言葉がでず、身体も動かない状態で、自分のことを
横でそんな風に言われたらどんなにか辛かったでしょうね。
「先生たちの邪魔になるからみんなは家で待ってなさい」と
息子たちを追い出して、一人静かに付き添っていた妻だけが
その気持ちを判っておられたのではないかと思います。

そんな昨日のエピソードを思いながら今朝診に行ってみると
すでに部屋は空でした。未明、2時半だったとのこと。
妻との約束で人工呼吸、心マッサージはせず、しかし夜中
だったので皆が集まるのを待って、当直医が確認してくれた
らしかったです(ありがとう>K先生)が、真の臨終に立ち
会えたのは妻だけだったというのも、むしろ彼にとっては
幸せな最期だったように思います。

”おまえのおかげでいい人生だったと、俺が言うから、必ず
言うから・・・”(from 関白宣言(c)さだまさし)
彼もこんな気持ちだったんじゃないかな・・・

合掌

<第3話>Y氏は突然に・・・(98/10/19)

このY氏は別にコミック「Y氏の隣人」のY氏ではありません。
私の病棟でもう3年近く入院している、筋萎縮性側索硬化症の
患者さんのことです。この間うちの病棟で、医長が代わるたびに
主治医交代し、私も一時期4ヵ月間だけ主治医になっていました。

人工呼吸器が装着されて久しく、すでに手も足も動かせず目の動き
とわずかな口の動きでナースコールを操作し、また文字盤を読んで
意志疎通を図っていました。私が主治医の時に人工呼吸器によると
思われる気胸を起こし、それ以来慢性的な呼吸器感染症がありまし
たが、全身状態はさほど悪いとは思っていませんでした。

ところが今朝、診療所で外来をしていて、病院から今朝のベッド
情報と入退院情報が来たのを見てびっくり。なんとY氏が死亡退院
されたとなっています。昨日私が日直していたときにも何も呼ばれて
いませんし、悪いという話はなかったので、何かの間違いじゃない
かと思って病棟に電話を入れてみましたが、その事実を確認しただけ
でした・・・

午後、病棟へ上がって婦長や看護婦さんたちと話をしていたのですが
まったく急な事で、今朝未明、何か苦しそうだなと看護婦が思って
いた矢先に、急に全身蒼白となり、血圧が触れなくなり意識が落ちて
しまったといいます。その後、当直医により心肺蘇生術を施されまし
たが、全く効果がなかったとの由でした。

入院当初は介護を嫌がっていた妻も最近は献身的に朝夕世話をしてい
たのですが、たまたま昨夜は何か行き違いがあったのか、患者に向か
って何か大声でどなってそのまま病室をあとにされていたそうです。
そのあとY氏は妙に静かで悲しそうな顔をされていたと言う事ですが
何か精神的なショックがあったのでしょうか。今となっては知るよし
もありませんが、家人にとっては痛恨の一夜と感じられていることで
しょう・・・

Y氏が亡くなったすぐあとに、大部屋のN氏が熱発からショック状態
になり、Y氏の出られたばかりの個室に入られてますが、最近うちの
病棟ではどうも一時に二人づつ亡くなられていることが多いので、
今夜の準夜勤の看護婦はピリピリしています。

はなはだ非科学的ではありますが、Yさん、引っ張って行かないでね
と祈らずにはおれませんね・・・

合掌

<第4話>ようやく帰れたのに・・・(98/11/19)

今回もなんとも哀しい、でも素晴らしいご夫婦のお話です。

Iさんは、骨粗鬆症がひどく、全身に激しい筋肉痛が伴う
事で動くのがおっくうになり、そのため寝たきりになって
診療所から往診をしておりました。一時期病院にも入って
リハビリもしたのですが動けるようになるまでには至らず
半寝たきり状態でとある老健施設へ入所したのが5月のこと
でした。

ところが入所して2週間も経たないうちに多量の下血があって
市民病院へ入院、大腸癌を指摘され手術、もちろん高齢者の
こういった寝たきり患者をあの市民病院が長々面倒を見てく
れるはずもなく、地域のU病院へ転送されていました。

そして先週の事、彼の妻が診療所へ来られて、ようやく退院
ということになったから、また往診してほしいと頼みにこら
れました。完全に寝たきりにはなったけれど、やはり本人が
施設は嫌だ、家がいいというので、無理は承知で帰宅するこ
とにしたとの由でした。さっそく入浴サービスの手続きや、
訪問看護ステーションへの依頼書発行、家で吸入をするため
の吸入薬の処方などを行い、妻への負担がなるべく軽くなる
ようにと相談して、今週火曜日退院の日を迎えたのです。

昨日の水曜日に、すぐに午後から彼の家まで往診。Iさん
はさすがに痩せたけれど、ぼさぼさの頭と無精髭は相変わら
ずで、ワイルドな風貌には変化はありませんでした。咳をし
てはいたものの、胸部聴診上はきれいで、血圧、脈拍なども
安定していました。また来るねー、と言って、小さな文化住
宅をあとにしたのですが・・・

本日の昼過ぎ、病院の外来が終わったところへ診療所から電
話がありました。さっきからIさんが悪寒で震えていると妻
から連絡があったと言います。昨日はあんなにゲンキだった
のに、と看護婦と話しながら、解熱剤と抗生剤を指示し、午
後の単位で看護婦に訪問してもらう予定にして電話を切りま
したが、それからたった2時間後の午後4時、病棟回診中に看
護婦が診療所から電話ですと呼びに来て、ふと何か嫌な予感
が・・・

「もしもし、Iさんのこと?だいじょうぶだった?」

と努めて明るく聞いてみたのですが、次の瞬間凍ってしまいました

「それがね、先生、つい今し方、亡くなられたんです・・・」
「えっ!!」

妻の話では、悪寒のあと急に喉元がごろごろと言い出したか
と思うと、そのまますぅっと眠るように呼吸が止まってしま
ったといいます。今日診療所で外来をしていた前所長に往診
に行ってもらったときには、すでに死亡確認しかすることが
なかったようです。

状況から考えれば、昼過ぎに喀痰での窒息が起こったのだろ
うと推察されるのですが、それにしても一昨日退院、昨日往
診して今日亡くなるなんて、誰が予想したでしょうか。昨日
の往診時には、痰なんて全くでてなかったのですよ!・・・

でも、Iさん自身は判っておられたのかも知れませんね。だ
からこそ妻に、強行に家へ帰ることを訴えておられたのでは
ないでしょうか。人生の最後になって、意にそわぬ寝たきり
状態になってしまったことを、私の病院に入院中もずっと悔
やんでおられた彼だから、最愛の伴侶と二人だけで最期の3
日間を過ごす事を選ばれたのかもしれません。先日のEさん
同様に、「おまえのおかげでいい人生だった」と、妻に語れる
素晴らしい終末だったのかもしれませんね・・・

合掌

<第5話>哀しい人生の終焉(1998/12/21)

私が今日夜診を終えて帰宅すると、ちょうど親父が今から
外出するというのにでくわしました。こんな時間にどこへと
聞いたら「・・・がぼちぼちあかんらしいんや」と。

うちの親父は8人兄弟の4番目で、上から6人までが男子なので
私がちょうど医師になった頃の15年前頃まで、兄弟でメリヤス
機械製造の工場を営んでいました。その6人の上から2番目の
私にとっての伯父が、食道静脈瘤の破裂で吐血し入院したと
いう連絡があったのが数日前でした。

この伯父さんは、子供の頃から若干知恵遅れ気味(といって
も成人後はちゃんと機械を作る仕事に従事できていたのです
けど)で、食べる事に執着して非常に太っていましたので、
兄弟の中では「でぶさん」で通っていました。私も物心ついた
ころから「でぶおっちゃん」と呼んでいた記憶があります。

しかし、工場をたたんで兄弟が散り散りになったころに、
やはり簡単に再就職が見つからず、ぶらぶらしていたことか
らついに嫁さんと子供に逃げられ、それからは一人で相当苦
労していたそうです。でも、10年ほど前に一度だけ逢った際
には、その苦労のせいか見る影もなく痩せていましたけれど
私を見て
「HIROSHIは立派になったなぁー。もう一人前やなあ」
と言ってくれました。不思議に私はこの伯父には可愛がられた
記憶もありまして、この言葉が素直に嬉しかったものです。

でも10年の歳月は、そしてこの10年の不況は、彼をふたたび
惨めな生活に追いやり、酒浸りにしていました。吐血した時
には、お腹も腹水でふくれ上がり、吐血がなくても肝硬変で
残り数か月と目されるような状態だったようです。

若い頃は極楽とんぼで、兄弟の中で一番長生きするぞと言わ
れていたとうちの母親が言います。でも、今夜、なんだか
兄弟の全ての不幸を背負ったような姿で、兄弟の中で一番先
に往ってしまうのかと思うと、自分の兄弟でもないのに、
とてもやりきれない気持ちになってしまいました。せめて
何とか楽な最期を、と祈らずにはおれません・・・

合掌・・・


<第6話>鉄人Cさん、力尽く(1999/2/4)

あのCさんが先日低血糖を起こし、その後また意識の回復した
ことはこれまでにご報告したとおりでした。その後、熱もさがり、まず
まずの状態で一進一退を繰り返していたのですが、今朝病室へ行っ
てみると、昨日まで利尿剤でも使わないと確保できていなかった尿量
が妙に多いのです。しかし、深夜の看護婦の報告では、夜中から半
身がぴくついているとの由。

何だかいやな予感がしたので、その場で(すでに浮腫で静脈採血が
できなくなっていましたので)動脈血を採血し、至急検査に回してもら
って私自身は外来へ入りました。まぁ何か変なデータでもあれば連絡
があるだろうとおもっていたのですが特に連絡もないので安心してい
たのです。ところが午後になって病棟に上がってみると、検査データ
がデータ入れの箱の中に置いてあったのですけど、見てびっくり。
なんと血糖が1024もある(+_+)。

ちょうど肝不全の患者が吐血していたこともあって、どうもあまりデー
タに注目していた看護婦が居なかったようです。検査室も普通ならア
ラート(警告)を発するのですがそれもなかった模様で、慌てて再検
すると1220(*_*)。しかしばあさま、相変わらず閉眼はしたままですが
揺り動かすとうんうんうなって判らない言葉でも文句を言っています。
普通なら血糖が1000越えていたら昏睡でもおかしくないのですから
やはりCさん、鉄人と言う他はありません。

それから大騒ぎで輸液路を確保しなおしたり、インスリンの持続注射
を始めたりと対処しましたが、状態は大きくは変わらず、バイタルサイ
ンもさほど悪くはありませんでした。夕方、夜の採血の指示を出して
そのまま家に帰っていたのですが、なんか気になって食事中もずっと
携帯電話を手元に置いていました。

そして20時過ぎ、ちょうど夜の採血の指示をした時間になって携帯が
鳴りました。彼女の心停止を告げる看護婦からの電話でした。心電図
モニターで軽い不整脈が出たなと思っていたら、急に心電図が平坦化
したようです。すぐに当直医が呼ばれ、心肺蘇生を行うもまったく効果
がなかったとの由でした。まだ時間が早かったこともあるし、第一彼女
と長年尽きあって来た私以外に、やはりうちの病院では見送って上げ
る人間はいないだろうと考えてすぐに病院へ来て、ついさっき家族も
到着し説明を終えたところでした。

家人はすでに葬式の費用のことばかりを心配していましたが、寂しい
気もするけれど彼女の置かれていた状況を思えばそれも当たり前か
なぁという気がします。それだけに、最後の見送りはやはり当直医に
任せず、自分でするつもりで来てよかったと思っています。この間の
苦しい闘病の割には、最期がむしろ一瞬だったせいか安らかなお顔
でした。それが唯一の救いですね。

これでもうじめった布団に寝ることもない、かびの生えた昨日の食べ
物に手を出すこともないのです。Cさん、7年前に先に逝かれた
ご主人と今再会されて、むしろ喜んでいるのかも知れません。
鉄人、Cさん、今こそお幸せに・・・

合掌

<第7話>92歳の道連れ(1999/2/6)

先日亡くなったCさんは92歳でしたが、うちの病棟にはもう一人92歳で
詰所のアイドル的存在だった、Yさんというおば
あはんがいます。

いつもベッドでじっと寝ているのがいやで、車いすにのっては
詰所でひがな過ごしていました。ほとんど痴呆状態だったです
けれど、自分の名前はちゃんと言えました。字も時間はかかる
けれど書けたので、前回の参議院選挙ではちゃんと不在者投票も
していたくらいです。

彼女に胃の悪性腫瘍が見つかって、吐血をして、あまり動けなく
なってしまったのが今年の初めでした。今月に入り個室に入れら
れて、それでも気分のいいときはお得意の調子で話をしていたの
ですが、数日前から尿量が減少し、ほぼ昏睡状態に入ってしまっ
ていました。

私の他の患者さんがまたもや肺炎になり、Cさんのあとの病室に
入って、熱をだしていたので、夕方その患者さんの奥さんに
病状を
説明するつもりで上がって行ったのですが、どうやらその
奥さんも
風邪を引いたらしく今夜はいくら待っても来られません。

と、その時に準夜をしていたNAOちゃん(Nurse)が

「あ、先生、Yさんのモニター落ちて来てます・・・」

と言うので見ると、HRの数字が60−50−40とどんどん
下がって来ています。ちょうど家人は外出したばかり。しかし
もうすでに主治医と家人の間では、心肺蘇生は全くしないと言う
ことで同意がなされていましたので、そのままベッドサイドで
見守りました。HRが平坦になるまで約10分間、家族と主治医
は間に合わずでしたが、とても静かな最期でした。NAOちゃんが
ぽつりと

「Yさん、おつかれさま・・・」

と声をかけていたのが印象的でした。ちょうど今日はCさん
の告別式が行われていたはず。お互い面識はなかったでしょうけ
ど、隣どうしの部屋で最期の数日を過ごした92歳のコンビは、や
はり旅立つときも誘いあわせて往ったのでしょうか。

Yさん、安らかに・・・


<第8話>寒風の中で(2000/1/20)

昨夜、一日を診療所で過ごしてようやく帰宅したところへ病棟から電話があり、
火曜日に熱発していてちょっと気になっていたHさんが呼吸不全を起こしてか
なり悪くなってるとの由。一日診てませんでしたので、家人に病状を説明する
ために21時半頃から一時病院へでかけていました。その時も結構寒いなぁと思
ってたのですが、今朝になるともう雪が降ってると言われてもおかしくないほ
どの冷えこみ(+_+)。自転車で行くにはかなり指先がキツかったです。

病室を朝に覗くと自分で酸素マスクを外しているほどの状態で、家人も一時帰
宅しているとの由。ここしばらく危機的な肺炎になってもその都度クリアして
来た方だけに、今回の大丈夫なのかなとちょっと安心した気持ちで外来に行っ
たのですが、外来の終わった直後にコールあり

「先生、血圧も触れなくて、脈も下がって来てます・・・」

と。行ってみるとたしかに朝に比して一気に呼吸不全状態が進み、瀕死状態に
なっています。レ線を見ると、なんと2日前には右だけだった肺炎が一気に両
側に広がっていて、さすがにこれはしんどい。10年も前からつきあってきた患
者さんで、このような状態になるたび奥さんとは挿管したり人工呼吸したりと
いうのはやめましょうと言う話ができていましたので、そのまま酸素投与など
だけで様子を見ていたのですが、結局午後4時過ぎ、帰らぬ人となられました。
息を引き取る直前、奥さんがこの10年間の事を思い返してご主人にいろいろ語
りかけながら手を握り、頬ずりまでされながらお別れされていたのが周囲の涙
を誘っていました。

18時頃になって死後処置も全てすみ、寝台車が迎えに来られたという連絡があ
って裏の駐車場まで見送りにでました。寒風吹き荒ぶ中でしたが、臨終に間に
合った多くの家人、知人がいっしょだったのでHさんも暖かな気持ちで旅立た
れたことでしょう。

合掌

<第9話>満一世紀の生涯(2000/4/14)

私の診療所で往診している患者さんのうちの最高齢者、それはこれまでも何度
かご紹介した事のある100歳のSさんです。昨年8月、無事100回目の誕生日を
迎えられ、診療所からも記念品を贈呈しました。豊中市長からのプレゼン
トより
喜んでくれたようでした(^^)。


そのSさんが下血をして入院したのが今年の2月の末でした。入った病院
があまり何もしてくれないと家族がぼやいていましたけど、本人はいたって元
気でよく喋るということで私たちも安心していました。1ヵ月に一度彼女の娘
さんがやはり高血圧で受診に来られるのですが、その方からも結構経過が良い
のでそろそろ退院だと言う話を聞いていたのですが・・・

本日のちょうど昼頃、診療所看護主任から電話が入りました。

「先生、Sさん、亡くなったそうです・・・」

えっ何故?と言う気持ちと、やはり悪かったのかなという思いが交錯しました
が、その後の彼女の言葉で事情ははっきりしました。

「もう食事も食べられて元気で、今週末にも退院の予定だったんだそうです。
 ところが今朝、朝食後に嘔吐されてそのまま、だったそうです」

嘔吐の原因ははっきりしませんが、要するに吐物誤嚥が死因のようでした。つ
まり事故なのでした。やはり一世紀をたくましく駆け抜けて来た彼女は最期ま
で病には負けなかったのです。

1899年生れ、今夏で101歳のはずでした。往診を始めて5年。この5年間に弱
るどころかむしろ熱発ごとに元気になってきた凄いSさん。2月に往診して帰る
際に、「また来ますね」と言ったらにこにこして右手でバイバイしてく
れたのが
結局私にとっての彼女の見納めでした。来年まで頑張れば3つの世紀
を生き
抜いた素晴らしい人になるところだったのに。


でも、そうやって惜しんでも彼女は喜んでくれないでしょう。100年間本当に
ご苦労さま、これからは空の上から診療所を、私たちを見守っていてほしい。
そう言う思いで大往生の彼女を送りたいと思います・・・

合掌


<第10話>N氏力尽きる (2001/3/13)

N氏はうちの診療所のデイケアのスタッフである息子さん、そして医療生協の
理事であるその奥さんと3人暮らしで、自身デイケアにずっと来られていてお
ばあはん達の人気を集めていたダンディなじい様でした。高知の田舎からでて
きた当初はあまり歩けないで往診していたのですが、デイケアに慣れるにした
がって徐々に下肢の機能も回復し、いろんなスポーツレクリエーションのリー
ダー的存在まで果たしていたのです。

ところがそんな彼も泣き所がありました。それは腰痛。さすがの彼も痛みには
勝てなくて、鎮痛剤の坐薬は放せない状態でした。もちろんこちらも彼の坐薬
への依存を知っていたので常に潰瘍の発生には気を使っていたのですが、昨年
秋のこと、黒色便が出たというので採血してみたらなんと血色素が5g/dl。い
つのまにかひどい貧血でした。そこで坐薬を一番緩い経口薬に変更し、鉄剤と
胃薬も併用して症状は改善していたのです。

しかし昨年末のある日、上腹部痛を起こしてデイケアから下りて来た彼の顔色
は土色。おそらく潰瘍の再発であろうと考えたのですが、症状が強かったので
すぐに病院へ連絡して救急車で転送しました。ところが夕方病院へいってみて
びっくりしました。なんと到着してすぐ緊急内視鏡などで検査した結果、潰瘍
ではなく腸間膜動脈血栓症と診断されて市立総合医療センターへ送られたとい
うのです。

いずれ診療所では詳しい検査もできず、腹部症状から診断する以外ないのです
が、黒色便ではあっても血便ではないと聞いていたので腸間膜動脈血栓症とは
夢にも思いませんでしたからこれだけでも衝撃だったのに、事後にデイケアス
タッフの息子さんから転院後の状況を聞いて更にショックを受けました。なん
と手術で大腸の2/3と、小腸のほぼ全部を摘出したというのです。結局栄養は
完全に輸液でしか補給できない身体になってしまったのでした。

1月に入りうちの病院へ戻って来た彼はふた周りほども小さくなってましたが、
顔は元気そうでした。もう口からは何も食べられないというのに、何か食わん
と元気がでんと喋る口だけは達者でした。私も暇があれば部屋を訪れてました
が、2月末には退院も考えようか、でも家で点滴どうしようか、なんてところ
まで話が進んでたのです。しかし今月に入って肺炎を起こし、痰からMRSAが検
出されて、土曜日にはベッドサイドで声をかけても弱々しい返事しか返って来
ませんでした。そして・・・

今日の午前の診療所外来中に、病院に詰めていた息子さんから亡くなった旨の
連絡が入りました。おなかの中がほとんどからっぽで、普通だったら生きてい
るのさえ不思議なくらいの状態で、しかもあの高齢で、Nさん本当によく頑張
ったと思います。でも、デイケアのメンバーは未だに彼が元気になって帰って
来ると信じています。彼らのこのことを告げるのが辛いです・・・

合掌



<第11話>104歳と2日目に(2001/03/14)

この二日間、疲れが昂じて書き込みができませんでした。だからこれは二日前の
お話です。

先日、足の趾だけがあの世に行きかけて大騒ぎをした103歳のMさんですが、そ
の後薬物が案外効いて足趾の状態はかなり改善して来ていました。しかし、あの
騒ぎで全身状態は少しずつ削られて来ていたようで、先週の水曜日に一度往診し
たときには食事があまり摂れないからということで自宅で点滴を施行したりして
いました。

月曜日に主任看護婦がご機嫌伺いの電話をしてみたら、だんだん動きも少なくな
って来て尿や便も失禁状態であり、家人も家での介護が限界と思えて来たという
情報でした。療養型の病院への入院も考えねばならない状態だなとわれわれも判
断し、家人も求めていたとの訪問看護ステーションからの情報もあったので、午
前の外来終了後往診の準備をしながらその紹介状をしたため終わったまさにその
時でした。

診察場の電話が鳴り、受付の女の子が「Mさん宅からのお電話です」と取り次い
でくれた受話器の向こうで、いつも往診に行くと出迎えてくれる長女の方(長女
と言えど77歳です)の取り乱した声が聞こえてきました。「せ・先生、おじいち
ゃん、息してないみたいなんです・・・身体も冷たくなってて・・・どうしたら
よろしやろ」

正直言って私は、来るときが来たか、という気持ちでした。この間状態はよくな
かったし、この高齢でいつ何があってもおかしくないのには違いなかったからで
す。でも月曜日、主任が電話したときすでに私は夜診の準備で西淀の方へ移動し
たあとで、その場での往診に行けていなかったので、24時間以内に診察をしてい
なかった私は医師法第20条に縛られ死亡確認はできても死亡診断書を作るわけに
は行かなかったのです。

とりいそぎ昼食もそこそこに車を仕立ててもらってMさん宅へ直行しました。彼
はすでにベッドの上で硬くなっていましたので死後最低2時間は経っていたと思
います。昨夜も痰がゴロゴロ言ってたというのでおそらくは肺炎で増えた喀痰を
喉に詰まらせたのが死因かと思われました。家人に上の旨を告げ、警察に連絡し
てもらう一方で、私は彼の胸を開き、慎重に心音のない事を確認し、頚動脈を5
分以上探し、そして唯一見えていた左目での瞳孔の散大と対光反射の消失を確認
しました。ついでに蛇足とは思ったけれど、念の為故人のまぶたの裏を改めて溢
血点のない事を見ておきました(外因的な窒息〜つまり首締めたり〜だとこれが
できるのです)。

でも、窒息だと苦しかったかと思うのですが、実に穏やかなお顔をしておられま
した。彼の誕生日は3月10日。つまり104歳になって二日目の大往生だったわけで
す。決して悟り切って亡くなったとは思わないけれど、ここまで生きてきた偉大
さが自然と表情をも美しくしてくれるものなのでしょうかね。

しばらく家人に事情を聞いたりしていたらしい所轄の捜査官が、残りの往診をこ
なしていた私の携帯に電話をして来て私にも状況を聞いてくれました。私も死亡
確認したときの状況を説明した後、医師法に触れなければ診断書を発行してもよ
いと言う意志を告げると、ちょっと待ってといってしばらくの後、「警察も変死
とは考えず、病死でよいと判断しましたので、先生が診断書書いて上げて下さい」
という電話をくれました。彼の神々しい表情に警察も打たれたのでしょうね。

往診のあと再度Mさん宅を訪れると、すでに子供さんがたは皆さん集まり、警察
は撤収したあとでした。彼はまだベッドの上で同じ状態でした。死してもなお生
前の彼の頑固さを物語るような姿に少し感動しながら看護婦と二人、合掌してそ
の場を辞し、診療所に帰って私が在宅患者さんで作る2枚目の死亡診断書を作成
したのでした。

あれから二日、すでに彼は煙になって天に向かったころでしょう。この世で過ご
した足掛け3世紀の想い出とともに・・・

合掌